私の知らない私
Seitarouさんが撮ってくださった私。こうやって見ると私は私を知らないことがよくわかる。私はこんな風にこんな顔で音楽を感じているのだと。とても嬉しかった。ありがとうございます。とてもこの写真で自分の生きてきた道を少し優しく懐かしめるなと思った。葬式の写真に使って欲しいくらい。
最近いや昔から思っていたことかもしれないが同じ言語を持っていても通じないものは通じないし、どんなに時間を共有してもわかりあえない事はわかりあえない、少し悲しい気もするけど同時にその逆で言葉や時間をこえて通じ合ったりわかりあえたりする事でもある。そしてだからこそそこでわかり合える瞬間が尊い。こうであるべきを捨てて見えてくる物聞こえてくるものわかりあえる事を大切にしたい。
つまりは人生の瞬間でお互いがわかりあえたときの優しい切ない気持ちを大切に生きて行きたい。音楽ってのもそう。そこに色々悲しみが詰まっていてもその先に多幸感を含んでいるものでありたい。
こうであって欲しいを人に対して求める事をやめる事への一歩だった今までの人生だったと思うし、私があわせれば良いと言う傲慢な思考とも別れの一歩だったと思う。厄年は色々私に教えてくれる。
昨日ムーンストンプに忘れ物を取りに行ったとき徳力さんにライブ以外の投稿の時は酔って感情的になって書いているのではないか説を唱えられたけど(笑)たまにはあるが酔わない方が実はその率が高めなのである( ̄∇ ̄)
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